「未来のことは誰にもわからないからとにかく努力しろ」は正しいのか

人は誰しも未来を知りたがります。しかし、未来というものは不確定で人智の及ぶところではありません。未来を正確に予測できる人がもし存在したら、それはもはやSFの世界でしょう。

未来のことは誰にもわからないのだから、とにかく目の前のことを頑張れ努力しろ」という人がいます。これは果たして正しいのでしょうか。今回はこれをいっしょに考えていきましょう。

 

未来は誰にもわからないのか

まず私は、未来は予測不可能な面はあるも、おおまかなビジョンは予測可能であると考えています。

わかりやすく言うと、5年や10年で出現するであろうテクノロジーやサービスは情報があれば予測可能ですが、それがどの程度普及するかや、それが社会におよばす影響の大きさなどは予測不可能な要素が多いということです。

わかりやすくスマートフォンを例にしましょう。今や日本をはじめとした先進国のみならず、いわゆる発展途上国でも多くの人がスマホを持って生活しています。みなさんの多くはスマホがここまで普及するとは予想だにしてなかったと言うでしょう。

しかし、スマートフォンの登場と普及は本当に予測不可能なものだったのか。
答えはNOです。

1990年に「携帯電話」が普及し始めたときには携帯電話がより高性能でコンパクトになっていくことは予測できました。インターネットの発達、演算チップの小型化、通信網の高速化といった情勢を掴めていた人にとっては、もっと前から人類がPCのような小型デバイスを持ち歩くようになることはわかっていたはずです。

さらに遡ると、1972年にはアラン・ケイが”dynabook構想”を提唱しています。これは現在のノートパソコンとタブレットの原型にあたるコンピュータを作ろうという思想で、現在のパソコンやスマホはいまだこの構想の域を脱していないとも言われています。

これは当時書かれたイメージ図です。板状のディスプレイを指で操作する姿が描かれています。現在のスマホやタブレット端末にそっくりです。

つまり、今から45年以上前に現在のスマホの原型は考えられていたのです。

たしかに、スマホがそもそも開発できるのか、どのような進化を遂げるのか、どのくらいのスピードで普及するのか、スマホが与える影響は、といった予測を正確に行うのは不可能です。また、100年スパンでものごとを予測することも難しいです。しかし、世界の情勢を知っている人からすれば、近い未来の予測は立てられるということを示唆しています。

 

目の前のことに全力で取り組むは正しいのか

とはいっても、多くの人にとっては未来を予測するに必要な情報を得る手段もなく、目の前のこと(仕事)に全力で取り組むことがBESTだと言われます。

目の前のことに全力で取り組むは正しいのでしょうか。
答えは半分YES、半分NOです。

どういうことかというと、目の前の課題に全力で取り組むこと自体は大切ですが、おおまかなビジョンがないまま場当たり的に突っ込んでばかりではダメだということです。

先ほど、未来のことはある程度予測可能であると言いました。しかし、現在では予測できる未来の期間はより短く範囲も限定的になってきています。これはインターネットとグローバル化により、世界中で人・モノ・情報の交換のスピードが上がってきているからです。世界の進歩するスピードが飛躍的に上昇しているので、予測できる期間も範囲も狭くなり、正確さも下がってきています。予測自体が不可能な新しい領域が出現することも増えました。

こうした世の中のスピード感では、小賢しく未来を予想するだけで行動に移せない人は成功できません。

最短距離を計算してからスタートを切るよりも、とりあえずスタートして状況に応じて修正しながら進んだ方がはやく目的地につけるからです。

とくにスキルが未熟な若い世代にとっては、行動しながら学習していくことが最も効率のよい方法であることが多くなっています。スタートする前に悩んでいても進んでいるうちにコースは変化してしまうし、方位磁針で自分の進みたい方向を把握していないと迷子になってしまいます。

つまり、世の中のおおまかな流れを予想してビジョンを持ちながら、目の前の課題に全力で取り組むことが求められているのです。

 

まとめ

世の中の流れを中長期的に予測しながら、短期的に今の自分にできることをやっていく、ということがこれからの時代で活躍する人材には欠かせなくなっています。まずは、自分に関係する領域がどのように変化していくのか情報を集めて予測し、自分がどうしていきたいのか、今の自分にできることは何なのかを考えていきましょう。
ありがとうございました。

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