医療業界の「勉強させてやっているんだから薄給無給でも我慢しろ」という慣習を終わらせたい

医療業界がブラックな労働環境と言われる理由のひとつに、「勉強させてやっているんだから薄給無給でも我慢しろ」という慣習があることが挙げられます。

勉強になる=薄給無給のブラックな労働環境?

医学部でどっぷりと洗脳されてしまった人は気づいていないかもしれませんが、世の中の大半の仕事は「専門性が高く忙しい仕事」ほど給料が高くなるようになっています。厳密には仕事の給料は「需要と供給」や「責任」などで決まるのかもしれませんが、一般論としては専門性が高い仕事=時給単価が高い、忙しい=労働時間が長いなので、専門性が高く忙しい仕事は給料が高くなります。
ところがこの常識が通用しないのが医療業界です。医療業界では、忙しい場所ほど”多くの症例が経験できる”、専門性が高い仕事ほど”珍しい症例を経験できる”としてむしろ給料が下がる傾向にあります。この「勉強になるからお金は要らないだろ」という風潮は健全でないと考えます。

勉強になる職場はなぜ給料が低いのか?

医師全般の労働環境が悪いことは今回は置いておき、なぜその中でも労働環境が悪い場所が薄給無給の労働環境がまかり通っているのかを考えます。

医療従事者は向上心が高い

多くの医療従事者は献身的で向上心が高い特徴があります。この向上心ゆえに、多くの症例を診ることのできる環境や、専門性の高い技術の修練ができる環境を選びがちです。これ自体は良いことですがそれによって需要が高まり給料としては下がります。普通はブラックな労働環境は人が辞めて人材確保できず自滅していくものですが、医療従事者の需要が高いので維持されています。

患者を人質に取られている

医療の現場で不勉強であることは患者を殺します。そうである以上、倫理観を持った医療従事者であるほど患者のために自己研鑽を積みます。医療以外の多くの職場では自己研鑽のためのセミナーや研修にはきちんと給料や代休が支給されますが、医療現場では各自の自由によるものだとして自己研鑽に対価は発生しません。自身の休みを返上してまで無償の自己研鑽に努める現状は、いわば患者を人質に取られているともいえるでしょう。

自己研鑽は業務ではない?

これに関しては、働き方改革などでも議論されています。世界の一流企業などの動向を見てみると、現在は「人材こそが最大の資本」であるという考えが主流で、労働者の自己啓発・自己研鑽を推奨する流れになっています。定時退社はもちろん、フレックス勤務や20%ルールなどで業務の負担や拘束を減らし、その分の時間を自己啓発に充てることで、本業の効率を上げてもらうというものです。
自己研鑽が業務に含まれるかは議論の余地がありますが、専門性の高い職種である医療従事者に無駄な業務や専門性の低い雑用を押し付けて、その上で自己研鑽もやらせるという風潮はいずれ淘汰されていきます。せめて、自己研鑽の時間を取れるように、通常業務は時間内に終わらせるようにしていくべきです。

洗脳されている

人の良い医療従事者は洗脳されています。前述した患者を人質に取られているもそうですが、経営者のロジックを末端の労働者が疑うことなく信じ込んでいます。そもそも「勉強になるから労働環境が悪くても我慢しろ」自体が経営者の詭弁だと気づいていますか?いち労働者としては専門性が高い仕事をやっているのだからむしろ対価を要求してもいいはずですよね。自信が洗脳されていることにも気付かずに、その洗脳を後進にも刷り込もうとするところも医療業界の良くない体質です。

診療報酬が専門性や技術・サービスを反映していない

経営者が詭弁を弄する理由がこれになります。自由市場であれば、専門性や高度な技術、優れたサービスには高い報酬がつけられますが、医療は診療報酬によってその値段があらかじめ決められています。診療報酬は格差が生じないように全国一律で、研修医だろうがベテラン医師だろうがそこに差は生じません。現在は一部の診療報酬で、研修を要件として算定が認められているものもありますがまだまだ十分とは言えません。

病院に余裕がない

そもそも診療報酬がギリギリのラインで算定されているので、病院の財政に余裕がありません。日本の病院の大半は赤字です。
また、高度な医療を提供する施設は診療報酬でカバーできない医療を提供することが多くなり、その分の費用が病院の負担となっています。そうなってくると、専門性の高い医療従事者の待遇をよくするどころか「やりがい」を餌に給与を削って財政を維持しないといけなくなります。

スキルと給料がトレードオフの関係にあると思い込んでいる

診療報酬がスキルを反映しないこともあり、多くの医療従事者はスキル習得が自分の待遇アップにつながるとは考えていません。むしろ、スキルを得るためには給料やプライベートな時間を捧げなければいけない、トレードオフの関係にあると思い込んでいます。

そもそも学生時代の勉強が不十分

身もふたもない話をしてしまうと、医療従事者の学生時代の勉強が不十分、または臨床現場に即していないという理由もあります。例えば、医師は医師国家試験に合格することで臨床現場に出て働くことができますが、国試に合格しただけでは臨床で働くには知識も経験も足りない状態です。学生時代の実習や勉強で求められるレベルが臨床と乖離しているがために、現場に出てから多くのことを”勉強”しなければいけなくなっています。そうした勉強のズレが負担になっていると考えます。

「誰が」やりがいを搾取している?

これは残念ながら「国民」と答えなければいけないでしょう。
医療現場は、患者の命を盾に「やりがい」を搾取している現状です。そして、我が国の患者の自己負担額を平均すると11%前後、国や地方からの税金による補填が4割を占める以上、この国の医療を搾取しているのは紛れもなく我々国民です。国民が医療に対する認識を改めない限りは医療現場の労働問題の根本解決は難しいでしょう。

まとめ:医療が崩壊する前に

医療現場は医療従事者の奉仕によってギリギリで成り立っています。しかし、その洗脳が解けたときには一気に崩壊する恐れがあります。医療が崩壊する前に、制度の改革、そして国民の認識改革をしないと手遅れになってしまうと危惧しています。
このサイトの管理人は、少しでも現状を良い方向に変えていきたいと思っています。また、そんな人と一緒に考えていくためのサイトを作っていきたいと考えています。今後ともよろしくお願いします。

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