2023年にChatGPTが急速に広まったころ、「AIが医師を代替する」「診断はAIの方が正確になる」といった未来予測が盛んに語られました。
それから数年が経った2026年、生成AIは医師の仕事をどう変えたのでしょうか。
私は市中病院で働く内科系の勤務医で、医師になって10年前後になります。実際に使ってきた立場から先に結論を言うと、私の仕事で大きく変わったのは、診察室の中で行う診断や治療そのものではありませんでした。
変わったのは、その前後にある仕事です。
典型的でない症例について文献を探す。海外のガイドラインを比較する。専門外の領域の全体像をつかむ。講演の構成を考え、スライドを作り、想定質問を準備する。こうした「調べる」「整理する」「形にする」作業では、生成AIが日常的な相談相手になりました。
一方で、生成AIに相談したいと強く思う場面ほど、実際の診療中には使いにくいという矛盾も感じています。
この記事では、生成AIを使って本当に便利になった仕事、使って恥をかいた経験、そして外来診療では期待したほど使えていない理由を、勤務医としての実感から書きます。
このサイトでも、AIを使えば記事は増えた
実は、このサイトで2024年に公開した記事の一部は、LLMを使って作成しました。たとえば「テレメディスンと未来の医療:医師にとっての機会と挑戦」では、生成AIが医師の診断や治療決定を支える未来について書いています。
文章を形にするまでの時間は短くなり、扱いたかったテーマの記事を増やすこともできました。しかし、後から読み返してみると、一般論が中心です。内容が完全に間違っているわけではなくても、私自身の経験や問題意識が薄く、「このサイトでなければ読めないもの」にはなっていませんでした。
AIを使えば文章は作れます。しかし、何を書くべきか、なぜ自分が書くのか、どの経験を差し出すのかまでは決めてくれません。
今回このサイトを再開するにあたり、AIで無難な記事を量産するのではなく、AIを編集や調査の補助に使いながら、自分の経験と考えを中心に書くことにしました。この記事自体も、その最初の試みです。
最も変わったのは、講演スライドの作り方だった
生成AIを使って最も効率が上がったと感じるのは、講演などのスライド作成です。
以前は、伝えたい内容があっても、全体の構想を組み立てるまでに時間がかかっていました。とりあえず作り始め、途中で論点の抜けに気づき、後から全体の順番を直すことも少なくありませんでした。
現在は、最初からスライドを作らせるのではなく、もっと手前の段階からAIと相談します。
- 誰に、何を持ち帰ってもらう講演なのかを言葉にする
- 盛り込むべき論点と、削るべき論点を洗い出す
- 講演全体の骨格を作る
- 各スライドの要点が一つに絞れているか確認する
- 完成したスライドに抜けや重複がないか点検する
- 聴衆から想定される質問と回答案を出す
一人で考えていると、最初に思いついた構成に引っ張られます。AIを壁打ち相手にすると、別の順番や不足している視点を何度でも出させることができます。相手の時間を気にせず、構想の途中でも相談できることが大きいのだと思います。
もちろん、医学的な内容の選択と最終確認は自分で行います。それでも、白紙から全体像を作り、完成後に自分だけで点検していたころと比べて、作業の進め方は大きく変わりました。
文献検索では「答え」より「入口」として使う
臨床で典型的でない症例に出会ったとき、似た症例報告を探したり、海外のガイドラインを参照して国内の考え方と比較したりします。また、非専門分野について、まず何を調べればよいのかを確認することもあります。
このとき生成AIは便利です。考えられる検索語を挙げる、疾患概念の周辺を整理する、ガイドライン間で比較すべき項目を並べる、といった作業が速いからです。専門外の領域でも、最初の地図を短時間で作れます。
ただし、AIの回答は文献ではありません。
私の現在の使い方は、AIに検索の入口を作ってもらい、最終的には症例報告の原文、学会のガイドライン、公的資料に戻るというものです。AIが示した引用や数字を、そのまま孫引きすることはできません。
専門分野の誤答を信じて、上司に指摘された
生成AIの怖さを実感した出来事もあります。
自分の専門分野に関する内容を相談した際、AIが明らかに誤った説明を、もっともらしい文章で出力しました。私はそれを十分に確認せずに使い、上司から誤りを指摘されました。率直に言えば、かなり恥ずかしい経験でした。
専門外なら慎重になるのに、専門分野では「自分なら間違いに気づける」という油断があったのだと思います。しかし、自然な文章の中に誤りが混ざると、知っている内容であっても意外に見落とします。自分の考えと近い回答なら、なおさら疑いにくくなります。
この経験から、生成AIの出力は「正しいか、間違っているか」だけでなく、「自分が信じたくなる形で書かれていないか」を確認する必要があると感じました。
生成AIの誤りは、荒唐無稽だから危険なのではありません。自然で、整っていて、会議やスライドにそのまま貼れそうに見えるから危険です。
AIに相談したい場面ほど、外来では使いにくい
生成AIが診療に役立つと聞くと、外来で鑑別診断を挙げさせたり、患者の訴えについてその場で相談したりする姿を想像するかもしれません。
しかし、現在の私にとって、外来はむしろAIを使いにくい場所です。
外来では時間が限られています。想定していなかった訴えが出たときこそ、「ほかに何を聞くべきか」「見落としてはいけないものは何か」をAIに相談したくなります。ところが、患者を前にしてAIへ質問を入力し、画面の回答を読み始めることには抵抗があります。
患者から見れば、医師が自分ではなく画面に注意を向ける時間になります。何を入力しているのか、AIの回答をどこまで信用しているのかも伝わりません。個人情報をどの環境に入力できるかという問題もあります。そして何より、限られた診察時間の中で、AIとの対話を挟む余裕がありません。
結局、いま生成AIが力を発揮しているのは、診察の最中よりも、その前後です。
この「最も助けてほしい瞬間には、まだ自然に使えない」という感覚は、医療AIの実用化を考えるうえで重要だと思います。モデルの性能が上がるだけでは足りません。電子カルテとの連携、入力方法、患者への説明、個人情報の扱い、回答を確認する時間まで含めて、診療の流れに組み込まれなければ使えないからです。
AIが賢いことと、医師がうまく使えることは別問題
研究結果にも、似た構図が表れています。
2024年に50人の医師を対象として行われたランダム化比較試験では、GPT-4を利用できる医師と従来の情報源だけを使う医師の間で、診断推論の成績に有意差はありませんでした。AI単独では高い成績を示したにもかかわらず、医師にAIを渡すだけでは成績向上につながらなかったのです。
一方、2026年に発表された70人の臨床医による研究では、医師とAIがそれぞれ独立して症例を検討した後、両者の一致点と相違点をAIが統合する仕組みを使うことで、従来の情報源を使う群より診断精度が高くなりました。ただし、複雑な臨床シナリオを用いた探索的研究であり、忙しい実際の外来で同じ効果が出ると確定したわけではありません。
それでも、この二つの研究が示す方向は興味深いものです。
AIが高性能であることと、AIを使った医師の仕事が良くなることは同じではありません。何を質問するか、AIの回答をいつ見るか、自分の考えと異なったときにどう検証するか。性能だけでなく、人間とAIの仕事の組み方が結果を左右します。
制度上も、まず「診療の周辺」から導入されている
日本でも、生成AIは実験的なチャットから、医療機関の業務設計を考える段階へ移りつつあります。
厚生労働省の2026年度診療報酬改定では、医師事務作業補助体制加算の見直しに関連して、「生成AIを活用した医療文書等の文書作成補助システム」が明記されました。電子カルテと連動する場合の安全管理や、利用者への研修も条件として示されています。
ここでも中心にあるのは、AIが医師の代わりに最終診断を下すことではありません。文書作成や情報整理など、診療を支える仕事の効率化です。私自身の実感とも一致します。
私が生成AIを使うときのルール
失敗を経験してから、少なくとも次の点を意識しています。
- 一般向け生成AIに、患者を特定できる情報を入力しない
- AIの回答を文献として扱わず、原著論文・ガイドライン・公的資料に戻る
- 数字、薬剤、引用、推奨内容は必ず確認する
- 専門分野だから大丈夫だと思わず、完成したスライドも見直す
- 診断について相談するときは、可能なら先に自分の考えを整理してからAIと比較する
- 所属施設の規程と、承認された利用環境を優先する
WHOも医療分野の生成AIについて、誤情報や偏り、プライバシーなどを含むガバナンス上の課題を整理しています。便利だからという理由だけで、一般向けAIサービスに診療情報をそのまま入力することはできません。
生成AIで医師に必要な能力はどう変わるか
生成AIによって、医学知識の重要性が下がるとは思いません。むしろ、出力の誤りを見つけるために専門知識が必要になります。
同時に、次のような能力の重要性は増していくでしょう。
- AIに渡してよい情報と、渡してはいけない情報を区別する
- AIが作った文章の誤りや抜けを見つける
- AIに任せる工程と、人間が判断する工程を設計する
- AIの提案に引きずられず、自分の考えと比較する
- AIを使った結果について説明し、責任を持つ
大切なのは、巧妙なプロンプトをたくさん暗記することだけではありません。AIをどの場面で使い、どの場面では使わないかを判断できることだと思います。
まとめ:変わったのは、診療の中心より「前後」だった
生成AIは、少なくとも現在の私にとって、診断を代わりに行う存在ではありません。
一方で、講演の構想を壁打ちし、要点を整理し、スライドの骨格を作り、想定質問まで準備する仕事は大きく変わりました。典型的でない症例の文献検索や、海外ガイドラインの比較、非専門分野を調べ始めるときにも役立っています。
その一方で、もっともらしい誤答を信じて恥をかいたこともあります。そして、最もAIに相談したくなる外来の予想外の場面では、患者の目の前で自然に使うことができていません。
生成AIで変わったのは、診療の中心というより、その前後にある思考と準備の時間でした。
私はこれからもAIを使うと思います。ただし、便利さだけでなく、失敗した場面や使えなかった場面も含めて考えたい。そしてこのサイトでも、AIに一般論を書かせるのではなく、AIとの対話を使って、自分自身の経験をより正確に言葉にしていきたいと思います。
